カフェの多様性について

「カフェ」という言葉は日常的に耳にするものの、この言葉が指し示す範囲は非常に広く、あいまいな場合が多いように思います。
そうやって見ていくと日本におけるカフェの形態は多岐にわたります。
一部のカフェではくつろげる空間を提供している一方で、スタンディングバーのような形式の場所もありますし、テイクアウト専門のカフェも存在します。
また、食事やアルコールを提供するカフェとそうでないカフェがあり、おしゃれな内装や雰囲気でカフェと称されることもあります。
そもそも伝統的な喫茶店もカフェと考えることができるのではないでしょうか?
結局のところ、カフェとは、コーヒー一杯だけを楽しむこともできる、気軽に立ち寄れる場所と言えるのかもしれません。

おしゃれだけじゃない!多様に進化した日本のカフェ文化の背景とは?

形式やスタイルに拘束されず、それぞれの店が独自の方法で空間を演出しているのがカフェの特徴です。
ソファがあろうが、立ち飲み形式であろうが、料理の提供があろうがなかろうが、それらはすべてカフェの形態と言えます。
従って、古典的な喫茶店もカフェの一形態と見なすことができますが、どうやら現代では一般的にカフェと言えば、新しくておしゃれなイメージの方が強いかもしれません。
しかし、そういうカフェにも日本独特の背景があり、過去には「カフェ」という語が飲食業というよりは風俗業として法律上定義されていたため、特定のイメージが形成されてしまった時期がありました。
この背景には、カフェという言葉の歴史的な変遷が関与していますが、詳細は歴史を振り返りながら説明していきたいと思います。

知識人が集うサロン、カフェの起源と日本での発展史

カフェの起源とは、ヨーロッパで中世から存在する、お茶や飲み物を楽しみながら会話をする場所でした。
当初からカフェは、文化人や知識人が集い、社会や文化について議論するサロンのような存在であり、フランス革命の火種がカフェでのディスカッションから生まれたとも言われています。
このカフェ文化は、日本においても明治時代に導入され始めました。
特に、1888年(明治21年)4月13日に上野で開店した「可否茶館」は日本初のカフェとされ、この日は後に「喫茶店の日」とされました。
可否茶館は短命に終わりましたが、明治末期には銀座で「カフェ・プランタン」「カフェ・パウリスタ」が開業し、特にパウリスタは現在も営業を続けています。
カフェは当時の上流階層や知識人たちに愛され、作家の菊池寛芥川龍之介、画家などが常連として名を連ねていました。
これらのカフェは風俗業とは一線を画し、従業員は主に男性で、一部のカフェでは女性従業員も接客を行うものの、品位を重んじる硬派な場所として運営されていました。

純喫茶誕生の裏側―カフェが風俗業と混同された昭和初期の歴史

昭和初期、大阪で新たな形態のカフェが登場しました。
これらの店では、派手な化粧をした女性が胸元を開いた服装で、顧客の隣で接客を行うスタイルが採られていました。
これはコーヒーを提供するというより、女性の接客をメインにした、現代で言う「キャバクラ」のような形態です。
この新スタイルのカフェは大阪で人気を博し、やがて東京にも広まりましたが、その影響でカフェが風俗業として警察の管理下に置かれるようになり、法令上も「カフェ」という用語が風俗業を指すものとされました。
それでも、伝統的なカフェは存続しており、そうした店は自らを「喫茶店」と呼ぶようになりました。
風俗店との混同を避けるために「純喫茶」と表示する店も現れました。
昭和時代には、「純喫茶」と看板に書かれた店が数多く存在しました。
現代なら、そもそも喫茶なんだから「純」を付ける必要はないのでは、という議論もありそうですが、この時代の背景を考えると納得がいきます。
これが昭和初期の時代に「カフェ」という呼称が飲食店に対して広く一般的ではなかった理由です。

カフェバー誕生!文化人が集う70年代表参道の伝説的スポット

1972年、パリのオープンカフェを模した「カフェ・ド・ロペ」が表参道にオープンし、芸能人やデザイナーなど文化人層から注目を集めました。
このカフェの設立はアパレル企業JUNグループによるもので、フランス風のカフェとして、日本における先駆者として伝説的な存在となりました。
その後、1980年代初頭には新しい形態である「カフェバー」が登場し、一時的なブームを起こしました。
この流れは、1981年に西麻布で開業した「レッドシューズ」という店が起源で、「カフェ&バー」として紹介されたことから始まります。
カフェバーは、バーの機能とカフェの要素を併せ持ち、お酒だけでなくコーヒーや食事も楽しめるスタイルでした。
この時代、酒場は通常、男性が集まる場所であり、女性が一人で利用することはまれでした。
カフェバーは、洗練された内装と快適な空間を提供することで、デートスポットや女性も一人で気軽に入れる場所として人気を博しました。
「レッドシューズ」を皮切りに、表参道の「キーウェストクラブ」や渋谷の「チャールストンカフェ」など、東京の主要な繁華街にカフェバーが次々と誕生しました。
これらの店舗は、芸能人による頻繁な利用やドラマのロケ地としての使用など、時代のトレンドを象徴する場として注目されました。

バブル期に広がる欧米カフェ文化、進化する日本の飲食シーン

バブル時代に入ると、ヨーロッパ式のカフェが徐々に増加し始めました。
この時期、海外への渡航が一般化し、欧米のカフェ文化が広く知られるようになったことから、カフェスタイルの喫茶業態が自然と増えたのです。
また、日本でスターバックスコーヒーの初の店舗が開店したのは1996年のことでした。
しかし、この時代はまだ「カフェ」という概念が確立しておらず、喫茶店とカフェの境界はあいまいで、個々の店舗ごとにスタイルが大きく異なっていました。
「カフェ」という言葉を掲げても、それが何を意味するのかは人によって捉え方が異なり、店の提供内容も様々でした。
カフェバーのブームは1980年代後半には既に下火となり、専門性の高い飲食店が台頭してきたことで、各業態が整理されました。
1980年代中頃からは、チューハイが若者の間で流行し始め、チェーン居酒屋の台頭で居酒屋が若者向けの場へと変貌を遂げました。
このような飲食文化の進化の中で、1993年にオープンしたアジアンダイニング「モンスーン・カフェ」のような新しい形式のレストランが登場し、カフェバーはその役割を終えたとも考えられます。

ロータス・カフェから始まる2000年代のカフェブームと多様化するカフェ文化

2000年、表参道に「ロータス・カフェ」がオープンし、日本におけるカフェブームの火付け役とされています。
この店の設立者は空間プロデューサーの山本宇一氏で、彼はロータスを開店する三年前に駒沢公園近くで「バワリー・キッチン」という成功したカフェ食堂を立ち上げていました。
バワリーキッチンやロータスは、伝統的な喫茶店や典型的なヨーロピアンカフェとは一線を画し、外観だけでは何の店か判別しにくいユニークなスタイルが特徴でした。さらに、洋食や和食などの既存のカテゴリーに捉われない自由なフードメニューを提供しました。
これにより、従来とは異なるカフェの表現方法と「カフェごはん」の概念が広がり、今日のカフェシーンに繋がる新しい枠組みとイメージが形成されました。
一方、1996年に日本に初進出したスターバックスは、1999年には100店舗、2000年には200店舗を超える急成長を遂げました。
また、タリーズコーヒーも1998年に日本市場に参入し、2001年には株式を上場しています。
このように、2000年頃からシアトル系カフェが日本で大きく広がりを見せているのです。
実際に、日本におけるフード提供型のお洒落なカフェやスタンドコーヒー式のカフェが本格的に広まり、ブームとなったのは2000年ごろからです。
これらのカフェの形態は、単に新しい業態が突如現れたわけではなく、時代の変遷と文化の積み重ねが影響して徐々に形成されてきました。
具体的な「カフェ」というカテゴリが初めから存在していたわけではなく、多くの変化と進化の結果として、今日の多様なカフェスタイルが生まれたのです。
そのため、日本における「カフェ」という言葉は、実は明治時代にまで遡る歴史がありますが、一般的に知られるようになったのは近年のことです。特に過去20年間で、新しいお洒落なイメージとともに広く受け入れられるようになりました。

まとめ

このように、カフェという言葉が指す範囲は非常に広く、その定義は時代や文化の変遷により変わってきました。
喫茶店やカフェバー、スタンドコーヒーの店など、カフェの形態は多岐にわたり、明確な定義を持つのは難しいのが現実です。
日本においては、明治時代に西洋文化が導入された時期から現在に至るまで、カフェは独自の進化を遂げ、多様なスタイルが共存しています。
おしゃれな空間でくつろぐ場所から、テイクアウト専用まで、その形態は自由であると言えるのが日本の「カフェ」の特徴なのでしょう。
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