日本が西洋料理を取り入れ始めたのは明治維新による開国後です。
江戸時代の鎖国政策により、多くの海外文化、食文化も含め、日本にはほとんど入ってきていませんでした。
開国後、日本に流れ込んだ西洋文化の中で、特に強い影響を与えたのはイギリスです。
現在に至るまで、日本の洋食文化にはイギリスの影響が顕著に見られます。
なぜイギリス文化が強く影響を与えたのか、その背景には複雑な歴史的経緯があります。
開国後の洋食の流入
1853年、ペリー提督率いる黒船の来航により、日本はアメリカ及び欧米諸国と条約を結び、横浜、神戸、長崎などの開港地が設定されました。
これにより、開港地に設けられた外国人居留地を通じて、日本への西洋文化の流入が加速しました。
外国人居留地は事実上の治外法権地域であり、一般の日本人の立ち入りが制限される中で、ホテルやレストランが建てられ、これらの施設では主に外国人経営者によって西洋料理が提供されました。
当時の日本には洋食を調理できる料理人がおらず、すべての食事が西洋食として提供されていたため、これらの地域は日本の中で小さな「外国」となっていました。
日本での洋食の初期
明治時代の開国初期に、日本で洋食が普及し始めた背景には、西洋食材の不足がありました。
当時の日本には西洋の食材がほぼなかったため、高価な輸入食材を使用することが困難で、日本の食材を使って西洋料理をアレンジする必要がありました。
この状況は、日本の洋食調理の始まりとされています。
開港地の外国人居留地に設けられたホテルやレストランでは、多くの日本人が働いており、厨房でも日本人が外国の料理人から実際の西洋料理の技術を学び、徐々に洋食を作れる日本人が現れ始めました。
日本の洋食受容の歴史
鎖国政策の終了後、日本は急速に西洋文化を取り入れるようになりました。
多くの日本人、特に社会の上層部や知識層は、西洋のマナーや文化を学ぶことで、国際社会での立場を確立しようと努めました。
この中には、洋服の着用、西洋のダンス、そして洋食の習得が含まれていました。
海軍では士官に西洋料理を食べることが義務付けられるなど、欧米との交流の準備が整えられました。
初期の洋食は日本人にとって非常に異質であり、鹿鳴館での西洋式レセプションが「猿真似」と揶揄されることもありましたが、次第に洋食を提供する日本人経営のレストランが誕生しました。
これらのレストランでは、外国人シェフのもとで修行した日本人シェフが独立し、自らの店を開くようになり、洋食が日本国内で広まる一助となりました。
日本におけるイギリスの影響力
日本が開国した際、多くの西洋国家が日本に影響を与えましたが、中でもイギリスの影響が最も大きかったのは、その時代におけるイギリスの国際的な地位と、日本におけるイギリス人の数の多さによるものでした。
イギリスは19世紀において最も強力な帝国であり、政治的、文化的、軍事的な影響力を世界中に及ぼしていました。
日本では、特に皇室が西洋の礼儀作法を学ぶ際にイギリス王室を模範とし、また日本海軍もイギリス海軍の戦術や戦略を取り入れることで近代化を図りました。
これらの背景から、日本の食文化においてもイギリスの影響が強く見られ、当時の日本における洋食文化の形成に大きく寄与したのです。
フランス料理が国際的なスタンダード
西洋の中でも最も高く評価されている料理はフランス料理であり、国際的な接待や正式な場では、フランス料理が基本とされることが多いです。
これが国際的なスタンダードとなっており、どの国のゲストを迎える場合でも同様です。
その影響を受け、明治時代の日本では政府や社会の上層部も、西洋の礼儀とともにフランス料理を取り入れることを望んでいました。
このため、外国人居留地にあるホテルのメインダイニングはフレンチスタイルが主流であり、多くはフランス人シェフを招聘していました。
しかし、当時の日本において最も多かった外国人はイギリス人であるため、実際に提供された料理はイギリスの影響を受けた「イギリス式フランス料理」という独特の形で日本に根付いていったのです。
日本の西洋料理の初期はイギリス風が主流
日本に住む外国人がいつも高級料理を楽しんでいるわけではありませんでした。
実際には、彼らもまた日常的な大衆料理や家庭料理を食べることが多かったとされます。
当時の日本に最も多く住んでいたのはイギリス人だったため、彼らの日常的な食事としてイギリス料理がよく作られていたと考えられます。
辻調理師専門学校の創立者である辻静雄は、自身の著書『フランス料理の学び方』の中で、日本にフランス料理が広まり始めた初期には、実際にはイギリス風の料理が主流だったと述べています。
この傾向は、当時のイギリスがフランスよりも国力で優位にあったからだと分析しています。
明治時代の言語と食文化
明治時代には英語がすでに国際的な言語として広く使われ始めていました。
この影響で、日本の料理書や洋食店のメニューにも英語の使用が多く見られるようになります。
これは、当時から世界の公用語として英語が浸透していたことの表れです。
一方で、ホテルや高級レストランでは、メニューがフランス語で書かれることもありましたが、庶民向けのメニューなどでは、食材名や料理名がカタカナで英語読みされていることが一般的でした。
このように、言語の使い分けが、当時の日本の洋食文化の多様性を示しています。
明治時代の洋食と言語の使用
明治時代の日本での洋食メニューは、主に英語で表記されることが多く、日本における外国語の使用において英語が中心的な役割を果たしていました。
例えば、牛肉を指す「ビーフ」や鶏肉を指す「チキン」という英語が一般的で、フランス語の食材名はほとんど見かけませんでした。
料理の呼称も、英語が主流で「ビーフシチュー」や「ローストビーフ」などの名前で親しまれています。
特に「シチュー」という料理は、イギリス発祥であり、フランスではこの料理を取り入れて「アイリッシュ・シチュー」と呼ばれるようになりました。
このように、洋食に関連する多くの語彙は英語が基になっており、フランス語の「ロティ」に相当する英語の「ロースト」が一般的に使用されていたことが窺えます。
これらの事例から、明治時代における料理人や食文化における会話や表現に英語が広く用いられていたことが推測されます。
明治〜戦前の西洋料理界と英語の使用
『西洋料理人物語』(中村雄昂著)や『ホテル料理長列伝』(岩崎信也著)など、戦前の西洋料理人に関する文献を見ると、その当時の料理名や専門用語はほぼ英語で表現されていました。
また、料理長を指す言葉として「チーフ」という英語が一般的に使用されていたことが記されています。
これは現代で言う「シェフ」とは異なり、当時の日本では「チーフ」の方が一般的な呼称でした。
これらの事実から、当時の日本の西洋料理界においてイギリスの影響が非常に強かったことが伺えます。
英語の使用が盛んだった背景には、イギリス文化の影響力が大きかったことが考えられ、西洋料理に関する交流や学びの中で英語が重要な役割を果たしていたことが明らかになります。
イギリスの影響下にある日本の洋食
日本の洋食文化には、イギリスの影響が色濃く表れています。
例えば、カレーはイギリス経由で日本に伝わりました。イギリスはかつてインドを植民地としていた関係で、インドのスパイスがイギリスに伝わり、そこで初めてカレー粉が製造されました。
イギリスのC&B社がその先駆けで、日本のS&Bはその影響を受けています。
イギリス風にアレンジされたカレーが、日本でポピュラーなカレーの原形です。
ビーフシチュー、ステーキ、カレー、エビフライ、カツレツ、コロッケなど、多くの人が連想する洋食メニューも、イギリスからの影響を大きく受けています。
特に「ステーキ」の起源はスコットランドにあり、イギリスとアメリカの食文化において重要な位置を占めています。
これらは、長い歴史を通じて日本の洋食文化に組み込まれていった典型的な例と言えます。
フランスでは牛肉よりも仔牛が好まれ、一般的にシンプルな焼き方を好むのは羊や鴨で、これらはグリルよりもロースト(ロティ)の形で調理されることが多いです。
フランス料理においては揚げ物はあまり一般的ではなく、エビフライやカツレツは天ぷらの技術を応用して日本で独自に発展した料理とされています。
一方で、イギリス料理では揚げ物が非常に好まれています。
イギリスの代表的な料理であるフィッシュ&チップスやじゃがいものコロッケなどが、19世紀のイギリスの料理書に記載されています。
このため、揚げ物という調理法は天ぷらという日本の伝統的な調理法と相性が良く、日本の洋食の中で広く受け入れられ、多用されるようになりました。
イギリスの影響と日本の技術が融合して、日本独自の洋食文化が形成されたのです。
日本のテーブルマナーに見るイギリスの影響
日本のテーブルマナーは、皇室がイギリス式を参考にしたため、かつてはその影響が非常に強かったようです。
今日でも宮中行事ではイギリス式マナーが採用されています。
イギリス式とフランス式のマナーはいくつかの点で大きく異なります。
その一例が、「フォークの背に乗せて食べる」という習慣です。
この食べ方はイギリスが起源で、今もなお日本の年配者の中には洋食をこの方法で食べる人がいます。
特に日本で独特な「フォークの背にライスを乗せる」という食べ方も、これが由来です。
欧米では白米を主食としないため、この食べ方が外国人には不思議に映るかもしれません。
しかし、日本で洋食と一緒にライスを食べる文化から生まれた習慣であり、その背景を知ると理解が深まるでしょう。
まとめ
日本が西洋料理を本格的に取り入れ始めたのは、明治維新後の開国によるものです。
開国前の江戸時代には、鎖国政策のため海外文化がほとんど入ってこなかった背景があります。
開国後、イギリスの影響が特に顕著で、日本の洋食文化にはイギリスの足跡が色濃く残っています。
ペリー来航後の横浜、神戸、長崎などの開港地では、外国人居留地を通じて西洋文化が急速に流入し、そこで西洋料理が紹介されましたが、日本には西洋食材がほとんどなかったため、日本の食材を用いた洋食がアレンジされ始めました。
日本人は西洋マナーや料理を学ぶことで国際社会での地位を確立しようと努力し、外国人シェフから学んだ日本人シェフが次第に独立し、日本独自の洋食が広がりを見せ始めました。
このようにして、日本の洋食はイギリスの影響を受けつつも、独自の進化を遂げていったのです。