デミグラスソースの謎

料理
デミグラスソースは多くの洋食店で使われるポピュラーなソースですが、その具体的な内容について詳しく知る人は実はそれほど多くありません。
このソースの名前は広く認識されていますが、実際にはその成分や作り方について深く知られていないことが一般的です。

ドミグラスソースの定義

ドミグラスソースの名称は、フランス語の「demi」(半分)と「glace」(氷または冷たいものを指すが、ここでは濃縮されたものを意味する)から派生しています。
これは、原材料を半分以下まで煮詰め、極めて濃厚にしたソースを指す用語です。ドミグラスソースは、「ソース・エスパニョール」をさらに濃縮して作られることから、その性質が複雑で理解しにくいものになっています。
また、「ドミ」と「デミ」はフランス語の発音の違いから来る表記のバリエーションで、実際には同じソースを指します。

エスパニョールソースについて

エスパニョールソースについて解説します。
このソースは、ラードで炒めたベーコンと野菜を基に、牛肉の出汁を加えて煮込み、トマトとルーを加えてとろみをつけたものです。
エスパニョールという名前は「スペイン風」とも訳されることがあり、フランス語で「スペイン」を意味しますが、なぜこの名前がついたのかについては明確な根拠はありません。
トマトの使用が関連しているとも言われますが、その具体的な起源はフランスでもはっきりしていません。
エスパニョールソースは、さらに牛肉の出汁で煮込んで赤ワインやマデラ酒を加え、光沢が出るまで煮詰めることでドミグラスソースに変わります。
ドミグラスとは本来、半分に煮詰めることを意味しますが、「半分」は必ずしも具体的な量を示すわけではなく、「最高の風味が引き出されるまで」というより抽象的な意味で使われることが多いです。
そのため、「軽いドミグラスソース」という表現が見られることがありますが、これは厳密にはエスパニョールソースに近いものである可能性が高いです。

ドミグラスソースの影響と変遷

ドミグラスソースは、そのリッチな風味から「ソース界の王」と称され、肉や野菜のエッセンスが濃縮された形で存在しています。
このソースが特に珍重された19世紀のフランスでは、レストランの隆盛とともに、様々な料理に用いられました。
当時、宮廷料理が一般的であり、宴会で大量に使用されることから、事前に大量生産しやすく、長持ちするドミグラスソースが非常に重宝されました。
フランス革命後の18世紀末にフランス料理が広く普及し始めると、従来の多種多様なソースを用意するのが困難になりました。
これにより、ドミグラスソースのような用途が広いソースが主流となり、多くの料理に適用されるようになりました。
しかし、20世紀になるとドミグラスソースの重い味わいが、料理の多様性を損ねるとされ、徐々にフォン・ド・ボーなどの他のソースに置き換えられていきました。
これは、ドミグラスソースを使うことで得られる味が均一化してしまうため、より個性的なソースが求められるようになったからです。

フォン・ド・ボーの時代とその特性

フォン・ド・ボーは、ドミグラスソースと基本的な材料は似ていますが、性質は全く異なります。
この出汁は主に仔牛の骨と野菜で作られ、味がクリアで汎用性が高いため、様々な種類のソースに展開できます。
ルーを使用せず、必要に応じてコーンスターチでとろみを加えることで、より軽やかな味わいを実現し、食材本来の味を引き立てます。
以前、ドミグラスソースを使うことは、完成形からは程遠い状態であると考えられがちでした。
これは、レストランが過去の宮廷料理やエスコフィエの時代から大きく変化したためです。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、フランスでは市民社会へと移行しましたが、当時のレストランは主に富裕層向けで、宴会用として一度に多くの料理を提供する形式が普通でした。
大皿で提供される料理にドミソースを加えると、効率が良く、味も均一に保つことができました。
しかし、時代が進むにつれ、個々の客のニーズに合わせて一皿ずつ料理を提供する方式が一般的になりました。
これにより、時間が経つと品質が落ちるドミグラスソースでは対応が難しくなりました。
そのため、フォン・ド・ボーを基にして、クリーム、ハーブ、リキュールなどを加えて独自の味わいのソースを作り出す手法が定着しました。
結果として、20世紀中盤からフランス料理におけるドミソースの使用は減少し、現代ではほとんど使われなくなりました。

明治時代の日本におけるドミグラスソースの導入

日本での西洋料理の普及が始まった明治時代(1868年以降)、ドミグラスソースはフランス料理界で非常に重要な地位を占めており、その影響力は日本にも及びました。
明治時代に導入されたこのソースは、当時のフランスで最も優れたソースとされており、それがそのまま日本の西洋料理における中心的なソースとなりました。
当時は情報伝達技術が発展しておらず、外国への渡航も困難だったため、日本では長くドミソースが主流であったことが窺えます。
特に、20世紀に入ってフォン・ド・ボーがフランスで人気を博し始めても、日本では依然としてドミグラスソースが使用され続け、戦時中を通じてその状況は変わらなかったようです。
さらに、このソースの表記には「デミ」「ドミ」「ドビ」といった様々なカナ表記が存在していましたが、これは直接耳で聞いた外国語をそのまま表記した結果生じたものです。

日本のフランス料理とドミグラスソースの変遷

日本におけるフランス料理の動向は、1960年代に日本人が海外で修行を積み始めたことにより大きく変化しました。
これらの修行帰国者が1970年代に帰国し、日本で第一次フランス料理ブームを起こしました。
それまで日本では戦後も長らくドミソースが重用されていましたが、1970年代に入り、新しい技術と知識を持ち帰ったシェフたちによってフォン・ド・ボーが主流となり、ドミグラスソースの使用は減少しました。
しかし、戦前から活動していた料理人たちを中心に、ドミソースの伝統は一部で維持され、街の洋食店でその味が引き継がれていきました。
また、1970年代のファミリーレストランブームにより、セントラルキッチンで大量に調理するのに適したドミグラスソースが、ステーキやハンバーグのソースとして日本中で広まることとなりました。

日本におけるドミグラスソースの現状

日本においてドミグラスソースは、洋食ソースの代表として広く親しまれています。
このソースは、フランスでは約100年前に一般的でなくなりましたが、日本では今も食文化の重要な部分として根付いているのが非常に興味深い事実です。
ドミグラスソースという名前は、日本での西洋料理ソースを象徴するものとして広く認識されていますが、その定義は非常に広範に渡ります。
実際、日本では色が茶色のソースを一律に「ドミグラスソース」と呼ぶことが多いです。
これには、伝統的な製法で作られていないもの、十分に濃縮されていないもの、さらにはケチャップとウスターソースが混ざったものまで含まれます。
特に、ファミリーレストランや街の洋食屋では、正規の製法に従わない「ドミグラスソース」の表記が珍しくありません。
食べ歩きブロガーやレビューサイトの投稿者も、ソースが茶色くてとろりとしているだけで「ドミソース」と評する傾向があります。
このような状況は、本来の製法を守る料理人から見れば、見た目だけでソースを評価されることに対して複雑な感情を抱かせるものです。

まとめ

デミグラスソースは、フランスで誕生した濃厚なソースとして知られていますが、日本では独自の進化を遂げ、洋食の定番として親しまれています。
興味深いのは、フランスでは一時期その人気が減少したにもかかわらず、日本では今もなおこのソースが料理文化に深く根付いている点です。
そして、デミグラスソースの製法は本来、複雑で手間がかかります。
しかし、日本では様々な簡略化されたバージョンが一般的に使われており、特にファミリーレストランや街の洋食店で見かけることが多いソースといえます。
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