ドリアはどの国の料理でしょうか?
洋食レストランのメニューに欠かせないこの料理は、ライスを使ったグラタン風の一品です。
グラタンのような外観からフランス料理と推測する人もいれば、イタリアンレストランのメニューにも見られるため、イタリア料理ではないかと考える人もいます。
しかし、意外なことに、ドリアは日本で発祥した料理です。具体的には、戦前に横浜のホテルニューグランドで総料理長を務めていたサリー・ワイル氏によって考案されました。
スイス出身のワイル氏は、パリでの経験を持つフランス料理のコックでしたが、西欧料理全般に精通しており、イタリア料理やスイス料理も得意としていました。
このように、ドリアは日本で誕生したとはいえ、その根底には「サリー・ワイル氏の料理」という、一流の国際的な料理の影響が色濃く反映されています。
ドリアの創作背景
ワイル氏は、横浜ホテルニューグランドでの勤務中、「コック長はメニューにない料理でもリクエストに応じる」と宣言しており、顧客からの特別なリクエストに基づいて様々な料理を創作していました。
ある日、「消化に優しい食事を」との客のリクエストに応えて生まれたのがドリアでした。具体的には、バターライスにクリーム煮の海老をトッピングし、モルネソースとチーズを加えてオーブンで焼き上げたものです。
この料理は客に好評を博し、ホテルニューグランドの看板メニューの一つとなりました。
高橋清一氏(ニューグランドの第四代総料理長)は、自著『横浜流 -すべてはここから始まった-』(東京新聞出版局)にて、このエピソードを紹介しています。
初めてこの料理が作られた正確な日付は不明ですが、1934年11月14日付けの東京ニューグランドのア・ラ・カルトメニューに「Shrimp Doria」の記載があることから、早い段階で提供されていたことが分かります。
この料理はワイル氏の弟子たちによって広められ、他のホテルやレストランでも取り入れられるようになり、現在では日本全国で愛される洋食メニューとなっています。
ワイル氏のオリジナルレシピは、今もなおニューグランドで提供されています。
「ドリア」名称の起源について
ドリアという名前の起源はフランス料理に遡りますが、サリー・ワイル氏によるドリアとは異なる料理であったとされます。
高橋清一氏の『横浜流』によると、19世紀にパリの名高い「カフェ・アングレ」でジェノバのドーリア貴族家専用に創作された料理が初めて「ドリア」と名付けられました。
この料理は、キュウリ、トマト、卵を使用しており、フランス料理における「ドーリア風」という言い回しは、この貴族家に由来すると考えられています。
オーギュスト・エスコフィエ(1845~1937)が著した『Le Guide Culinaire』や、彼の弟子L.ソールニエによる『Le repertoire de la cuisine』(日本では『フランス料理総覧』としても知られています)にも、「ドリア風」とはキュウリを添えることが記されており、これが伝統的なフランス料理として認知されています。
フランス語版ウィキペディアによれば、“Doria”という料理名は「キュウリのスープ」として説明されています。
この名称がなぜキュウリに特化して伝わったのかは不明ですが、ジェノバと言えば通常はジェノベーゼソースが有名です。
ドリアの名前の由来と歴史的背景
ドリアという名前は、ジェノバのドーリア貴族家に由来しています。
この家系は、ジェノバ共和国の時代から非常に影響力のある家族であり、特に15世紀に活躍したアンドレア・ドーリア提督は、その名声からドーリア家といえば彼の名前が最も知られています。この提督はジェノバの海軍を指揮し、その功績から家名が広く称えられました。
ジェノバはナポレオン時代に短期間フランス領になるなど、フランスとも深い関わりがあったため、この名前には多国間の歴史が反映されているのです。
また、ジェノバには今もドーリア家の宮殿が残っており、その歴史的重要性が伺えます。
サリー・ワイル氏が横浜ホテルニューグランドで創作した「ドリア」も、この名門貴族の名前を冠しており、彼がライスをベースにしたグラタン料理にこの名前を選んだ理由は、彼の故郷との繋がりや歴史的背景を尊重したためと考えられます。
荒田勇作氏が1964年に出版した『荒田西洋料理』では、ドリアの意味を「海将風」としており、これもまたアンドレア・ドーリア提督の海軍指揮官としての背景からインスピレーションを得ていることが示されています。
オマール海老のトゥールヴィル風
タンバル皿にリゾットを広げ、その上にバターで炒めたマッシュルーム、オマール海老、牡蠣、ムール貝、そしてトリュフを重ね、クリームソースで和えます。次にソース・モルネをかけ、チーズを振ってオーブンで焼くと、豪華なシーフードドリアが完成します。
この料理は、フランスの古典的な「オマール・トゥールヴィル」として知られ、『Le Guide Culinaire』や『Le Repertoire de la Cuisine』にも記載されています。
この名前は、17世紀に活躍したフランス海軍提督アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン、トゥールヴィル伯爵から取られています。
サリー・ワイル氏はエスコフィエの料理を非常に尊敬しており、ニューグランドのメニューにも彼の影響を受けた多くの料理が採用されました。
客のリクエストに応じてフランス海軍提督にちなんだ名前を冠したシーフード料理を考案し、それが「トゥールヴィル風」として親しまれるようになったのです。
「ドリア風」という名称に関する誤解
ドリアにチーズをかける手法について「イタリア風」と呼ばれる理由があるとする説もありますが、これは一般的なグラタン料理の調理法を考えると説得力を欠くと思われます。
グラタン料理では、チーズを表面に散らして焼くのは基本中の基本です。
これはフランス料理の教科書にもしばしば記載されており、大正時代に出版された日本の料理書でも同様の方法が紹介されています。
実際、クリームソースの上にチーズを加えることは、焼き色を美しく出すための一般的な方法です。
水分が多いソースだけでは焼き色が付きにくいため、チーズやパン粉を使用するのが一般的です。
使用されるチーズとしては、パルミジャーノのような粉チーズが好まれます。
例えば、「オマール海老のトゥールヴィル」などのフランス料理でも、この手法が取り入れられています。
グラタンにパルミジャーノを使うことについての誤解
グラタンにパルミジャーノを使用することは一般的ですが、これだけで「イタリア風」と呼ばれることはないでしょう。
特にパルミジャーノはエミリア=ロマーニャ地方産であり、ジェノバの貴族の名を冠することに直接的な関連は見られません。
さらに、「冷めたピラフを活用した」というドリアの誕生説には疑問があります。
ピラフは調理に時間がかかるため、レストランでは通常、事前に作り置きされ、必要に応じて再加熱されます。
そのため、「冷めてしまったから使う」という動機付けは一般的なレストランの運用にそぐわず、事前に計画された使用の可能性が高いです。
また、「冷めたピラフ」がレストランでどのような扱いをされるかは、通常の厨房運営の範囲内で考えるべきでしょう。
ドリアの多様な表現と歴史
ライスグラタン、広く「ドリア」として知られる料理ですが、過去にはさまざまな名前で呼ばれていました。
例えば、荒田勇作氏の著書『荒田西洋料理』には「ドリア」のレシピが掲載されており、他に「トマト味のライスグラタン」や「トルーヴィル」と呼ばれる魚介またはチキンのクリーム煮をトッピングした料理など、似た種類の料理が多くの名称で紹介されています。
1934年のニューグランドホテルのメニューにも「Timble Rice Doria」という料理があり、その他にも「Crab Coquille Doria」と記された蟹のグラタンがあります。
これらの記述から、ニューグランドでは様々なバリエーションのドリアが存在していたことが窺えます。
また、戦後の東京で名高いフランス料理店「レストラン・アラスカ」や「コックドール」には、「トールヴィール」と呼ばれるトマト味のライスにグラタンソースをかけて焼いた料理がありました。
これらの店の料理長はワイル氏の弟子であったため、彼らが独自に進化させたライス入りグラタン料理を提供していたことが推測されます。
ドリアと呼ばれる料理の背景には、創造的で多様な表現があり、時間を通じてさまざまな形で進化してきたことがわかります。
日本洋食の起源としての「ドリア」と「トルヴィル」
北海道のホテル黒部で総料理長を務める梶井敏幸氏が若かりし頃、アラスカのレストランで「トールヴィール」という料理を食べ、その味に衝撃を受けて料理の道に進んだというエピソードがあります。
この「トールヴィール」は、トマトベースのライスに海の幸を組み合わせたグラタン料理で、「トルヴィエーズ風」(トルヴィル風)とも呼ばれます。これはフランス北西部の港町トルヴィルにちなんでおり、本来は魚介を用いた料理スタイルを示します。
しかし、日本ではこの呼び名が次第に拡がり、トルヴィル風とされた料理がドリアのような形態を帯びるようになった背景があります。
荒田勇作氏の『荒田西洋料理』によれば、元々は魚介類を用いた料理であった「トルヴィル風」が、ライスグラタンにアレンジされるうちに、白いバターライスを使ったものは「ドリア」、トマトベースのライスを使ったものは「トルヴィル」として認識されるようになったと記されています。
これらの変遷は、ドリアとトゥールヴィルの関係性を示すものであり、日本の洋食文化における多様性と洋食メニューの独自進化を物語っています。
東京と神奈川で楽しめる伝統的な西洋料理
東京の大井町にあるレストラン「プロヴァンス」や、神奈川県大和市の「スピット」では、古典的な西洋料理「トルーヴィル」を提供しています。
これらのレストランは、日本の洋食史に名を連ねる名店で修業を積んだシェフたちが、昔ながらの調理法を守り続けています。
「プロヴァンス」のシェフはかつて銀座の「コックドール」で、そして「スピット」のシェフは荒田勇作氏の下で技術を磨いた経歴を持ちます。
戦後の日本を彩ったグルメたちが愛した味を、現代に引き継いでいます。
エスコフィエのレシピとは異なるかもしれませんが、高度成長期前の日本の洋食文化を現代に伝えるこれらの料理は、今なお多くの人々に支持されています。
まとめ
ドリアのルーツについて語ると、その起源は想像以上に多国籍な背景があることが明らかになります。
本来フランスやイタリア料理とされがちですが、実際には日本で誕生したという事実は、多くの食文化愛好家にとって興味深い発見です。
サリー・ワイル氏が日本でこの料理を生み出した背景には、国際的な料理の深い理解と技術があり、その創作物が今も多くの人々に愛され続けているのです。
ドリアはただの料理ではなく、文化や歴史が交差する点であり、その多様性と進化は私たちの食卓を豊かに彩る素晴らしい例です。